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やさしい気持ちを持ってくださりありがとうございます。 捨てることに非常に抵抗を感じるのは、動物のことを思ってくださっているからと思います。 お気持ちよくわかります。 以前はアニマルライツセンターでも回収をして毛皮反対のキャンペーンに使っていたのですが、現在は回収をしておりません。 保護動物を抱えているところがもしかしたら使ってくれる可能性はあるのですが、最近少しそのことに抵抗を感じております。 といいますのも、毛皮製品(たとえ髪の毛に付けるシュシュであっても!)からホルムアルデヒドや三価クロム、ひどいときは六価クロムが検出されているからです。 ハイブランドのも製品でも、海外団体の調査でこれら危険な物質が検出されています。調査するたびに検出されていて、東京都の ホルムアルデヒド 調査でも検出されています。 そのため、特に動物は体を擦り付けたり、なめたりするためやめたほうがいいと思っています。 なお、基本的に革製品は腐らないように加工していあるため、土に埋めても相当年数自然にかえりません。 私達は、以下の方法を推奨しています。 比較的近年購入したもので、購入先やブランドがはっきりしているものは、意見とともに送付する(「返品」とするとお金を返さなくてはならないと考えややこしくなりますので返金は不要なので今後新たに作らないでほしい などと伝える) それ以外は残念ですが捨てるしかありません。 次の犠牲を生み出さないということが最も動物のためと考えています。 供養のために、ぜひ毛皮の悲しさを次の方に伝えてください。 チラシを配るなどもできます。 https://arcj.org/what-you-can-do/order-leaflet/
「囚われの身の動物における遺伝子的多様性の欠如が、動物園の繁殖プログラムにとって深刻な問題である」(動物の権利) 近親勾配によって死亡率が通常の6倍以上高い種もあるといいます。 Aという絶滅危惧種がいたとして、Aの遺伝子を残すために動物園で飼育することになります。動物園で飼育される事になった数頭の不運なAたちの生涯を犠牲 にして、いつか自然に戻すことができるかもしれないのだからAのためだと主張することができるのでしょうか?人工的な場所に監禁されて生き続けるのであれ ば、自然に任せたほうがその動物にとってはましだと言えないでしょうか。 動物園に費やされる財源と知識を動物が生息地保護にまわすことこそが種の保存なのはないでしょうか。 さらに、動物園では絶滅に瀕した動物より、瀕していない動物が繁殖されている。人工繁殖に成功したということは動物のためとは言えず、研究者、動物園の利益にしかなりません。 また、絶滅を救うためなどの大義名分を忘れ、ショーのために使ったり、長い時間人目にさらしたり、その動物が持つ経済効果を優先させる場合が多いのが現実です。
娯楽を提供することにより、動物園は訪れる人を楽しませ、利益を得ます。 しかし、人間の娯楽は、動物たちから権利を奪い苦しめてよい理由にはなりません。 すでに人間は、より人道的で高度な娯楽を多く開発しています。 スポーツやゲーム、美術館、博物館、テレビ、インターネットをはじめ、人道的な娯楽にあふれています。 弱い立場にある動物を犠牲にする娯楽は、まったく必要ありません。
しばしば「動物愛護思想の普及をはかること」が動物園の目的になっています。 監禁状態にある動物たちを前にして、動物愛護の思想を普及させるというのは、いったいどういうことでしょうか? また、「生命の共存や自然との調和を学ぶ」ことも謳われますが、それを動物園でどのように学ぼうというのか、私たちには分かりません。 むしろ、動物園と言う特殊な環境は、人間は自然を支配することが当然で、動物を思うままに支配してよい、動物は人に奉仕するために存在する道具なのだという間違った認識を広めてはいないでしょうか。 動物をコンクリートの床と鉄格子の狭い空間に一生監禁することに疑問を抱かない施設で、動物に対する尊重や配慮の気持ちが育まれることはありません。 動物園で動物の生態について知ることができるという意見もあると思いますが、動物の生態はその動物がしかるべき場所にいてはじめてわかることであり、動物園の狭い檻の中では正確に知ることはできません。 間違った知識が与えられる危険性があります。 人間も自然や地球、動物の一部であるということを、動物園から学ぶことはできません。
まず、野生動物を捕獲し囲いの中で飼育する事がどういうことなのか理解しなくてはなりません。自然の中から引き離され、長距離の過酷な移動に耐え、柵に囲まれた自由のない異質の空間で自然の行動パターンを奪われた状態で飼育され、時には食べ物を餌に厳しく調教されます。動物たちが神経に異常をきたすこともしばしばみられます。 人間の娯楽のために、動物園にとらわれた動物たちは、その動物が本来持っている全ての権利(自由や家族や自然)を全て奪われているのです。 動物を見世物にするという、動物の尊厳を無視した娯楽は、時代と共に消えていく文化です。 動物園・水族館の存在意義を確立するためには、彼らが奪われた多くの権利にもまさる重要性がなくてはなりません。 動物園・水族館の挙げる存在意義は、娯楽、教育、種の保存があります。それについては次の質問でお答えします。
世界一健康的ともいわれる日本食から日本人が離れつつあるのは、歴史上ごく最近のことです。 また、人間という動物自体、ナチュラルには熊に近いと言われている雑食性の動物ですが、それが肉食性に傾きつつあるのは事実です。 私たちの会は厳格なベジタリアン(ヴィーガンまたはビーガン)になることを会員に強制しているわけではありませんが、増えすぎた人間がさらに肉食に傾いていくことは、自然界のバランスを崩し、他の動物が自然に生きる権利を侵害していることは明らかな事実です。 また、家畜と呼ばれる動物が現在どのような状況で飼育され、殺されているのかを多くの人は知りません。 欧米圏または日本でも倫理的理由からヴィーガンになるという選択は、決して珍しいものではなくなっています。 動物実験擁護者や動物の権利への反対者などの中には、「動物を食べているのだから、動物実験等にも反対できないではないか」、という言い方をする人がいます。 また、このように攻められると、動物の現状に心を痛める人の中でも、「自分は動物を食べているから、動物の他の非倫理的な扱われ方にも強く抗議できない」と考え始める場合があります。 しかし、動物を食べるから動物をどう利用しようといいのだというオール or ナッシングの考え方ではなく、自らの意思でより犠牲の少ないライフスタイルを選択するべきだと思います。 今も苦しんでいる動物にとって、個人のこだわりよりも一歩の行動(実践)のほうがより大きな意味を持つのです。
アニマルライツセンターの理事は、動物性のものをいっさい取らないビーガンの食生活をする者や、なるべくビーガンやベジタリアンの生活をするよう心がける者などからなっています。必ず共通しているのは、現在の歪んだ工場畜産に反対していることです。
基本的にバランスの取れたヴィーガン、またはベジタリアン食を心がけていれば、まったく問題がありません。ほかの多くの食生活と同じように、栄養のバランスを考え食事を取ることは当然です。 多くの世界的なトップスター 、多くの歴史的に有名な偉人がベジタリアン食を実践しています。 また、肉食に偏った生活がもたらしている成人病から逃れる方法の一つとしても、ベジタリアン食は注目されています。 病気の療養食として動物性食品を排除した料理が出ることも多く、健康を損なうというよりは、むしろ体に良いと実証されています。 「私は現在85歳だが、これまでと同じように元気に仕事をしている。もうかなり長く生きたので、そろそろ死のうかと思っているのだが、なかなか死ねない。ビーフステーキを食べれば、ひと思いに死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。私は自分が永遠に生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。これが菜食主義の唯一の欠点である」– ジョージ・バーナード・ショー(アイルランド出身の劇作家、劇評家、音楽評論家、社会主義者。1925年ノーベル文学賞受賞) この後、彼は94歳まで生きました。
動物性のものを取らない理由は、いくつかあります。 まず、動物の権利から見た問題の大きさが上げられます。 現在の畜産業のほとんどは、効率と利益を重視し、動物を不自然な状態で飼育しています。 肉食についてはこちらをご覧ください 環境を保護するため 世界中の飢餓問題の解決のため 「菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、人類に対して非常に多くの利益をもたらすと考えます。したがって菜食は人類にとって非常に幸多き、平和なことなのです。人類は菜食をすべきです」–アルベルト・アインシュタイン 「私はかなり若い頃から動物を食べるようなことは絶対にしなかった。動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。人間がこのことを認識する日はいつか来るだろう」–レオナルド・ダ・ヴィンチ
世界の地球温暖化ガス排出量の51%が畜産業(肉食)によるものだというレポートが発表されました。 牛から発生するメタンガスの量だけでも、18~21%占めているとされております。 また、放牧のためにアマゾン川流域の熱帯雨林の65%~70%が破壊されています。その他、穀物も30%が動物の食べ物になっており、それを動物の肉にして人間が消費すると、量、カロリーなどは約4分の1の価値になってしまいます。
たとえ一人であっても肉類や卵を減らすことですが、大きな影響があると考えています。 例えばミートフリーマンデーという週に一日動物性の食品をとることをやめようという運動を多くの方が実践すれば、動物の犠牲は7分の1になります。日本ではまだ広がりは少ないですが、海外ではサンフランシスコのような都市が公式に採用しています。国連などが600億頭~700億頭の家畜が居ると述べており、その7分の1というのはものすごく大きな数です。また、その1頭1頭が、感覚を持ち、個性を持つ動物であり、たとえそれがたったの1頭であったとしても減らすことによって救えることは大きな意味を持ちます。 私たちは畜産や屠畜の現場などに出向くことがありますので、よりそれを強く感じます。鶏や豚が1頭1頭、もがき、逃げようと暴れようとしています。 私たちは、1頭でも多く、救いたいと考えています。 完璧に動物性のものを避けなくとも、減らすだけでも、その一歩はとても大きいのです。
禁煙運動がタバコ産業従事者や葉タバコ生産農家に転業や転職を求めることになり、脱原発運動が原子力産業関係者にやはり転業や転職を求めることになるのと同様に、現在の畜産のあり方を批判する運動は、本質的には畜産業の関係者に転業や転職を求めていることになります。ただし、転業・転職の過程で、関係者の労働条件や生活水準があまり悪化することのないように、できれば配慮したり協力したりしたいと考えます。
現在の日本の有機畜産は、まだ生まれたばかりで発展途上です。多くの場合、倫理的飼育とはいえません。また、殺し方にまではまだあまり言及はされていません。 また、放し飼いなどのうたい文句であったとしても、その飼育現場を見て驚くケースも多々あります。ぎゅうぎゅうの状態でも放し飼いは放し飼い、不衛生で暗闇の中であったとしても放し飼いは放し飼いなのです。 一時動物に自然に似た環境を提供したからといって、種差別や搾取、苦痛を強いる事が正当化されるわけではありません。 ただし、今まさに苦しんでいる動物にとって、福祉的な飼育をうたう有機畜産は重要です。肉食を否定しない人は、有機畜産をより発展させるべきです。
残念ながら、現在動物たちは一瞬では殺されていません。 脳天を打たれたあと、体をさかさまに持ち上げられ喉を切られ、意識を取り戻し(体は動きませんが)、失血死をしています。 また、高速道路で運ばれる動物のトラックに出くわしたことはないでしょうか。 動物達はまず輸送される過程において多大なストレスにさらされます。 鶏はぎゅうぎゅうづめに網目状のケージに詰め込まれ輸送されます。正常な状態で立っていられる鶏はいないでしょう。そのケージが何段にも積み上げられ、トラックに詰め込まれます。トラックの荷台は100Kmの速度で走る恐怖、寒さや暑さに耐えなくてはなりません。 牛や豚も同様です。 殺処分場(食肉処理場)近くで悲痛な声で鳴く動物たちの声を耳にしたことはないでしょうか。 動物をのせたベルトコンベアーが屠殺を行う地点に近づく時、動物達は死の恐怖におびえ、死をのがれようともがき苦しみます。自分が殺されることの認識すらないと主張する人がいますが、血のにおいをかぎ、異常な工場の中で、恐怖を感じないでいると信じられるでしょうか。 日本には人道的に殺すべしとした法律はありません。規制の手は届きません。 電気ショックで意識を奪うケースであっても、苦痛は甚大です。人間であれば麻酔を施さないといけない処置です。また、イギリスの有機畜産で電気ショックを使う際に苦痛を軽減するため、濡れたスポンジを当てて行われますが、通常はそのような福祉はありません。 意識を奪い、その後失血させられます。 苦痛を感じないのであれば、その方法は人間にも適用できるのでしょうか。 いいえ、人間の安楽死には、このような方法をとることは許されません。
あなたにはたくさん出来ることがあります。 *毛皮を買わないこと トリムとしてほんの少しついているものも買わないことです。このトリムで毛皮業界は近年息を吹き返しました。 *毛皮を売っているお店、メーカーに、毛皮を使わないよう要望すること 消費者の声がもっとも力を持っています。あなたの意見をどんどん伝えてください。 *多くの人に、毛皮の製造過程を伝え、映像を見せ、毛皮を買わないようにしてもらうこと 伝えるためのチラシはお送りできます。お問い合わせください。
ぜひご自身でもお考えください。 人間は毛皮の代替素材をすでに開発しています。 現在人間はおしゃれのために毛皮を使っています。嗜好品なのです。けれども、動物にとってその毛皮は生きるために必要で、それがなければ生きることができません。人間は毛皮がなくても豊かにおしゃれに生きていくことができます。
そもそも、毛皮は普通の地域に住んでいる人間にとって必要なものではありません。 ごく限られた極寒の地域(-40度になる地域など)に住む代替素材を手に入れられない人を除き、利用すべきものではありません。 また、過酷な寒さの中で行われるスポーツ競技で使われるのは、毛皮はではなく、人工的な繊維です。 寒さを理由に動物を殺すことは、文明を発展させた社会である日本ではできません。 アニマルライツの主張の多くは、そういったごく限定された場合を除いて、人間が一方的に動物を利用することに反対する主張です。 人間が奴隷を使うのをやめたのと同じように、です。
個体の大きさにもよりますが、一般的に、1枚の毛皮のコートを作るのに、ミンクなら70~80頭分、キツネなら10~15頭分の毛皮が必要といわれています。 日本に輸入されているきつね、うさぎ、ミンクなどの毛皮は、全形(原皮)だけでもおよそ21万頭分です(2004年)。 これに加え、毛皮を部分的に使用している衣類の場合、頭数への換算は不可能ですが、例えば、女性用の毛皮付き衣類のすべてにフードの縁取り又はコートの襟として毛皮が使われているものと仮定した場合、それだけでも150万匹分以上ということになります(体長50~60cmのきつね又はタヌキの毛皮1枚から3着分で換算) 。
国によって違います。 日本には動物の愛護および管理に関する法律があります。 しかし、 現在のこの法律により動物の権利を守ることはほとんど期待できません。 海外の法規制についてはこちらをご覧ください。
効率と利益だけを優先させた結果です。 それを容認している社会(一般の消費者)が存在しているので、残酷な殺し方がまかり通っているのです。 日本の消費者も、この殺し方に加担してしまっているといえます。