動物実験のどこがいけないのでしょうか?

*人体への危険* 「動物実験によって安全性を確かめられる」ことはありえない。もしそうであるなら、薬害は起こりえないだろうが、現実には薬害は非常に多い。動物のデータを人間に当てはめる際の「安全性」は「推測」である。薬害はその「推測の安全性」の犠牲である。 *動物実験は税金の無駄遣い* 以下のデータは悪性新生物が原因での死亡数の推移である。過去50年間増加し続けていることが分かる。これが、癌研究に莫大な税金を費やした結果である。動物実験に費やされる税金を、予防、疫学や環境整備、汚染防止に切り替えるべきである。 *動物の権利* 被実験動物に権利はないのだろうか。 実験者の使う言葉を発することができないこと、人間より弱者であること、以上の理由で「人間の利益のため」に健康体であるにもかかわらず、苦痛を与えられ、その命を絶たれる。被実験動物にとって、それは虐待であり、拷問である。どんなすばらしい言葉で正当化しようとも、動物にとっては虐待以外の何物でも ない。 ナチスの基本的思想の一つに「人種主義」がある。高等な人種と劣等な人種を区別し、差別したのである。日本軍七三一部隊にも同様の思想があった。現在動物実験を支持もしくは黙認する人々は、同じ論理で話をすることが多い。人種差別ではなく種差別の思想に基づく論理である。 人体実験同様、動物実験も許されるべきではない。 *動物実験の利益享受者* 動物実験によって利益を受ける人がいる。知的好奇心を満たし、論文を発表し、地位や名誉を手に入れ、それによって金を手にする人々がいる。その人々のためだけに、薬害の犠牲者になる人が居り、拷問されて殺される動物がいる。

動物のことよりも先に取り組むべき人間の問題があるのではないですか?

この質問は種差別をもとにした考え方からくるもので、アニマルライツの考え方とは異なるものです。人権は大切です。そしてそれと同様に動物の権利も大切だと主張しているのであって、それらを比較してどちらか一つを選択するものではありません。 動物の権利を認めれば、人は生きていけないのでしょうか? 女性の権利が認められたとき、男性は暮らしにくくなったでしょうか? 動物解放の運動は、人を否定するものではありません。人か動物かという二者択一をせずに、動物と人が穏やかに共存できる社会をめざしています。

弱肉強食が自然なのだから、強い人間が動物を犠牲にするのは自然なことではないですか?

肉食動物は生きるためにはほかの動物を殺さなくてはなりません。一方、人間には殺さなくても生きる術を持っており、選択が可能です。雑食動物である人間は肉を食べなくても生きていけるのです。 倫理的な選択ができる点で、人間はほかの動物と異なっています。自然界では動物は人間を殺して食べることがあります。では人間が人間を殺して食べることが許されるでしょうか。もちろん許されません。 動物の権利を主張する私たちは、人間が人間を殺して食べないことと同様に、苦痛を感じる能力を持つ動物を殺して食べることも倫理的なおこないではないと考えます。人間には別の選択肢があるからです。 また、人間は動物を殺す手段を持っていますが、何かができるかということと、それをおこなってもよいということは異なります。強い力を持つということは、より強い責任が生じることだととらえるべきです。

人間と人間以外の動物が助けを求めていたら、どちらを助けますか?

この質問は、動物の権利への反論としてよく利用されます。容量に限りのある救命ボートに、人と動物とどちらを載せるべきかというものです。 回答内容は人によって異なると思いますが、動物の権利を支持する人も、他の人達と同様に、おそらく自分自身の愛着が強い方を助けることでしょう。また、おそらく可能であるなら両方を助けるでしょう。 そして緊急事態ではなく、通常時であれば、人間の権利も動物の権利も守ることを選択します。 非常にナンセンスな質問であるにもかかわらず、しばしば尋ねられます。しかし、このような、緊急時に状況を限定して、人の感情や愛着の強さに左右される質問は、アニマルライツの考え方を理解する助けにはならないでしょう。 この質問に対してどう答えたとしても、工場畜産や毛皮生産が廃止されるべきものであることに変わりはありません。

死んだ動物を利用することはよいのですか?

まず、その動物が死んだ理由が、その死体を利用するためであれば、その答えは当然「利用してはならない」となります。 つまり、たとえば家畜を食べる目的で殺し、それを殺したのは自分自身ではないがその死体(肉)食べる消費者も、動物の遺体の利用者になります。これはその動物の権利を迫害し、苦痛を与え、殺していることになります。 毛皮を剥がすために殺し、その死体(毛皮部分)を利用する消費者も同様です。 この質問はもうひとつ別の解釈ができます。たまたま交通事故死や自然死した動物の死体を利用してよいか、という解釈です。 この場合は利用しても道徳的に問題はないと考えます。 ただ、あなたは人の遺体を何かに利用しますか?たとえば医学的な発展を望んで死後行う献体は、生前に本人の意思が必要あれば可能ですが、それ以外は日本では利用しません。これは道徳的に利用しないのではなく、美徳(遺族の気持ちなども察して)として利用していないケースが多いように思います。 自然死した動物の死体であっても、利用しないという人もいます。これは自然死した動物の死体を利用することが日常化し、いつの間にか動物の死体への需要が高まり、その結果、その需要のために動物を殺す仕組みが出来上がっていってしまうということが、往々にあるためです。 動物の死体を利用しなくてよい社会は、人類の発展とともに生み出されてきた代替素材を利用することで、実現ができます。

宗教とは違うのですか?

宗教ではなく、倫理観の問題です。 宗教の定義:(三省堂辞書) (1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。 (2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。 一方、アニマルライツとは、種差別をなくし動物たちには人間から虐待や搾取されず、自然の生活をする権利があるというものです。 これら2つの定義には明らかな違いがあります。 動物の権利運動は、何かを信じて自らの安らぎを得ようとする運動ではなく、またあがめる対象があるわけでもありません。 アニマルライツとは?

人それぞれ、価値観が違うので、動物の権利を認める必要はないですよね?

人の価値観は多様です。その価値観の多様性を認めることはとても大切なことです。しかし、すべての価値観は、個人的な意見のひとつに過ぎず、絶対的価値を持つものでもありません。もし人それぞれの価値観すべて否定しないのであれば、人身売買や殺人、奴隷制度、人種差別、性差別なども否定できないということになります。また、「奴隷制度が合法的だった時代には奴隷制度は奴隷制度を肯定する価値観は正しく、奴隷制度が違法になったら正しくなくなる」というものでもありません。 価値観の多様性があることは認めても、そのすべての価値観が道徳的であり正しいとは限りません。また、現在社会の大多数が容認していることであっても、それが正しいとも限らないのです。 動物の権利は、動物の本来の生き方を認めるべきだと主張し、人間が動物を搾取、虐待することを非難します。種差別に反対する動物の権利運動は、奴隷制度や人種差別、女性差別に反対し、新しい価値観を広めてきた運動と同じ流れにあるのです。

東京の近くに住んでいないのですが、活動に参加できますか?

署名などは、街頭で集団で集めるのではなく、個人で友人知人などに署名を集めていただいています。 チラシを大学におかせていただけたらとてもうれしいです。「仕方がない。人間のためだからいいじゃないか」と正当化する人の少ない若い世代に知っていただきたい問題です。 また、インターネット上でも、アニマルライツセンターのサイト(公式サイトおよびキャンペーンや問題別サイト)にリンクを貼るなども重要な活動です。 その他、お住まいの地域でチラシ配りやキャンペーンを行う、パネル展を行うなど、あなたの自主的な活動を支援しています。ご相談ください。

是非ボランティアを希望しておりますが、平日は働いているので休日等にお手伝い出来ることはあるのでしょうか。

もちろんです! 休日にチラシ配りなどキャンペーンをしますので、むしろボランティアは休日中心になります。ぜひお願いします。 東京近辺にお住まいでしたら、毎月第一土曜日13時からに事務所でボランティアミーティング(定例会)を開いておりますので、お気軽にお越しください。

映像が過激すぎるのではないでしょうか?

これはよく言われます。しかし、私たちがウェブサイト等で公開している映像は、現在も行われている紛れもない事実です。そしてこれらの映像に映された『過激な』行為に私たちは反対しているのです。 物事に反対する際には、まずその事実を知ることが必要です。また、工場畜産や動物実験、生体販売を支えているのは、現在の日本社会であり、(知る知らないに関わらず)これを受け入れている人々なのです。ですから、私たちはまずこの実態を多くの人に知らせる必要があると考えています。 見るのがつらいからといって、動物の苦痛を心の隅に追いやり無視することは許されません。なぜなら、そうしたところで動物の苦痛は減少しないからです。見るのがつらい行為がなくなれば、それは負の歴史となり、もう繰り返されないものとなって見る必要もなくなるでしょう。 映像が見るに耐えないのであれば、その行為を批判してください。そして何よりも、その見るに耐えない行いの共犯者にならないでください。 アニマルライツセンターのウェブサイトやパンフレット等では、内部告発による画像や映像、毛皮産業の実態を記録するために従業員になったり、動物の扱いを明らかにするために何らかの手段により企業や研究機関の内部に入ったりして撮影した画像や映像も用いられています。 アニマルライツセンターは建物への侵入など違法行為を助長する考えはまったく持っていませんが、そのような行為の結果として明らかになった情報をどう扱うかは慎重に判断する必要があります。 そもそも「隠し撮り」をしなければならない理由は、動物を虐待している企業や施設が真実の情報を公開していないからです。 どのような手段であれ、いったん記録され公開された動物虐待の画像や映像は、いまも同じような状態に動物たちが置かれ虐待され続けていることを強く示しています。 私たちは動物を扱う企業や施設に真実の情報を明らかにするよう常に要求していきますし、公開要求に応じて、あるいは自ら積極的に公開することにより動物を虐待していないことが判明した場合には、その画像や映像に見られる虐待行為は過去のものとして扱います。 そうでない場合には、私たちはそのような虐待行為が現在も続いている可能性が高く、それに対して抗議しなければならないと考えます。そのために、画像や映像を用いていきます。 組織内でしか知りえない不正行為に関する内部告発を支持する現在の世論は、動物虐待を明らかにしていくという上記の私たちの見解を後押しするものだと考えます。

活動は過激なのではないでしょうか?

たしかにこの運動は、現在の社会のあり方に大きな変革をせまるものではあると思います。現時大勢を占めない思想や運動は、異端視されがちです。例えば第二次世界大戦のときに、日本をそこから離脱させようと考え行動する人は非国民とさえ呼ばれましたが、敗戦後まったく評価は変わります。 そして、きっと私たちのひ孫は、私たちを過激な集団とは思わないでしょう。 日本における動物の権利擁護運動では、過激と思われる運動はおこなわれていません。アニマルライツセンターは、いたって穏健なパネル展を中心とした啓発、許可を取った上でおこなうデモ、要望書の提出、動物の保護、話し合いといった活動をおこないます。例えば人に危害を加えるような場合には、それを非難します。

動物の利用を止めると、多くの伝統や慣わしが失われてしまいませんか?

悪い伝統はなくすることは当然です。現在、動物を搾取する伝統(お祭り)が急速に姿を消していますが、それはとてもヒューマンなことだと思います。 これまで動物を使う行事が伝統であったとしても、もしそれが非人道的であると現代の社会で思われるならば、今後もその伝統を続けていかなければならない理由はありません。 たとえば、ローマ時代には人間(奴隷)が殺しあう様を見ることが市民の娯楽でしたが、現代の娯楽はルールをもつスポーツに代わりました(一部闘牛や闘犬などの原始的娯楽が残っている)。 日本でも、死刑の方法は残酷でしたしその首を市民にさらしていましたが、今では死刑の是非を問うまでになりました。どこの国では子供は幼いときから働き手として見られていましたが、多くの国で教育が義務付けられるようになりました。

人が動物の権利を「まもる」ことは偽善ではないですか?

動物の権利に関連する問題の多くは、人間に利用され、搾取され無用に痛めつけられることによって起こる問題です。動物は人間に思いを伝えるための言葉をもちません。 これらを解決するのは、人間以外にはありえません。 また、偽善であるかどうかを知っているのは、本人だけです。動物から見たときには、痛めつける人間なのか、そうでないのか、それしかありません。 たとえ本人が偽善的な精神で動物の権利を守ったとしても、その結果動物の権利が守られ、動物が苦痛から解放されたのであれば、それは偽善的行為とはいえないでしょう。

動物の権利運動は人の権利を奪うことではないのですか?

まず、利益が生まれそれによって生活している人が存在するということが、その行為を正当化する理由にはなりません。 売春や麻薬、拳銃の密売、人の臓器売買は利益を生みますが、それらは現在では重大な罪になります。現在動物を利用する産業はとても巨大で、これで生活している人も大勢いますが、このことが動物に苦痛を与え一方的に利用してよい理由にはなりません。 さらに、例えば健康増進のために喫煙に反対する人は、タバコ産業で働いている人の権利を奪っているといえるでしょうか? それを国民が支持する場合、その業界で働いている人がいることを理由に反対できないとすれば、どんな市民活動もなりたちません。 30年前、環境運動を先導する人は、高度成長をめざしてビジネスに取り組んでいる人の敵でした。 しかし現在では、環境ビジネスはステイタスを得て、特にドイツでは大きな産業を形成しています。地球を汚す産業から、地球を浄化する産業へ労働人口の大移動が起きました。 今すぐに肉食禁止や動物実験禁止の法律ができれば、確かに一時的に失業者が増えると思いますが、いずれ他の産業へ移行することになります。NEDOの報告書では、動物実験代替ビジネスの市場規模が計算されていますが、それは現在の動物実験に携わる業者を上回る規模となります。 どんな活動でも、現在のビジネス界(利害関係者)から反発があるのは当然です。うまく次の段階へ移行する道をしめしながら、交渉していく必要があると考えています。

順天堂大学から実験に使われる犬を盗み出したという事件があったと聞きました。真相を教えてください

英国の動物愛護団体「ストップ・ハンティンドン・アニマル・クルエルティ(SHAC)」のキャンペーンで来日したイギリス人が、2003年に順天堂大学医学部(東京都文京区)の施設から、実験用に飼育されていた犬1頭(雑種の老犬)を持ち出しました。前代表理事が知人を通じて犬の運搬を依頼され、持ち出した犬を運搬、保護し、里親に出しました。その後この事件が判明し、前代表理事も起訴されましたが、前代表理事が亡くなったため判決は出ておりません。なお、前代表理事は事件後に代表理事を辞任しています。 この事件への前代表理事の関与は、アニマルライツセンターの他のメンバーには何も知らされないままおこなわれたもので、アニマルライツセンターとしての関与はなく、他のメンバーは逮捕も起訴もされていません。 アニマルライツセンターは活動の手法として違法行為を肯定するものではなく、今後も法を遵守した上で、活動をおこなってまいります。 その後の順天堂大学との話し合いでは、施設から持ち出された犬はアルツハイマーの動物実験用であり、その施設は撤去したことがわかり、また、保健所から払い下げた犬だったが、今後は払い下げはおこなわないことになりました。 救出された犬は、救出直後にアニマルライツセンターのシェルターに虐待された犬として持ち込まれ、アニマルライツセンターにて検査を行い、里親を探しました。救出直後の検査ではフィラリアに感染していました。その後、里親先の自然豊かな環境のもとで一生を過ごしました。 ※当時の報道では、「アニマルライツセンター(ARC)とストップ・ハンティンドン・アニマル・クルエルティ(SHAC)は協力関係にある」とか、「アニマルライツセンターはSHACグループの一つである」と表現されていますが、これは誤りであり、当時も現在もアニマルライツセンターとSHACにはそのような関係はまったくありません。

寄付や会費はどのように使われますか?

現在はまだ、動物たちの置かれている実態の把握や周知がまったく未熟であると判断しており、実態の調査し明らかにするとともに、消費者、政治家、著名人等々に伝えていくことに力を入れています。また、今年は動物愛護及び管理に関する法律の改正が議論されるためそのロビー活動にも力を入れる計画でおります。 ご支援いただいたご寄付や会費は、それらを行うための活動費、制作や印刷費、調査費等に使われています。 会計報告はこちら 皆さまから頂いたご支援の使い道を、一部ご紹介させていただきます。 【キャンペーン・アクション】 ・FUR FREE ASIAなどのキャンペーンの主催 ・毛皮反対デモ行進 東京・川越・横浜 ・NO フォアグラキャンペーン(署名・申入れ等) ・アパレル企業に対する毛皮廃止を求める申入れ、FUR FREE認証プログラムの推進 ・お母さん豚を閉じ込めないでキャンペーン ・バタリーケージの卵食べたくないキャンペーン ・畜産動物のアニマルウェルフェアの推進を求めるロビー活動 ・動物愛護法の改正を求める署名 【啓蒙、広める活動】 ・全国12都市によるFURFREEWEEKキャンペーン(毛皮反対デモ行進、チラシ配布) ・イベント出展、アースデイ東京、アースデイ神戸、エコライフフェア、たちかわ楽市、東京ベジフードフェスタ、エコプロダクツ、街頭アピールなど ・全国でのFURFREEポスター(毛皮反対)の掲示 約600枚 ・啓蒙チラシ配りや全国への送付、年間、NO毛皮チラシは11万枚、その他5種類のチラシ平均各4~7万枚を配布 【動物の現状を知るための調査】 ・日本の生活者に対する、毛皮の意識調査を実施(18歳~39歳 男女 1,000名) ・​日本の生活者に対する、畜産の意識調査を実施(18歳~ 男女 1,188名) ・衆議院議員選挙候補者に対する動物の権利・動物愛護に関するアンケート調査を実施 ・屠畜場、食肉センターに対して、動物の取扱いの状況調査(電話によるヒアリング、書面等) ・畜産場、ペットショップ、ブリーダー、毛皮農場の現地調査 その他、行政や企業との話し合い、署名活動や提出、情報発信等 このような活動は、全て皆さまからの温かいご支援やサポートにより支えられています。またアニマルライツセンターは政府や行政からの援助は一切受けおりません。活動を、寄付という形で、ご支援下さい。 アニマルライツセンターについて 活動をしる 寄付をする

会員になるには何か資格が必要ですか?

ARCの活動・趣旨に賛同される方でしたら、どなたでも会員になることができます。 詳しくはARC定款をご覧下さい。

どのように支援できますか

ARCの活動は、すべて会費と寄付で支えられています。 現在アニマルライツセンターでは、毛皮反対の活動、動物実験廃止に向けた様々な運動、動物病院問題の解決に向けた根本的取り組み、工場畜産の改善と縮小をめざす運動、行政による犬猫殺処分のゼロをめざす運動、娯楽のために使役される動物を救う活動を中心におこなっています。 私たちのこういった活動はすべて、理不尽に苦しめられる動物を救いたいという思いを持った皆様、あるいは動物の置かれている現状に疑問を持つ皆様からの寄附金と会費によって成り立っています。 お寄せいただいた寄附金は、苦しみを受け、死に瀕している動物を少しでも多く救うために役立てます。 動物を尊重する皆様のお心に感謝いたします。 郵便振替(ゆうちょ銀行)で寄付する 口座番号 00110-7-127583 加入者名 特定非営利活動法人 アニマルライツセンター 通信欄 ご送金の内訳をご記入ください。 記入例①:会費1年分 記入例②:一般寄付 (ARCへのメッセージなどお書き頂けたらうれしいです) ご依頼人 あなたのご住所・お名前・電話番号をご記入ください。 現金での通常払込み 郵便局備え付けの払込取扱表(郵便振替用紙)に必要事項をご記入の上、窓口もしくは郵便振替自動受付機でご入金ください。 ご入金確認後、お礼状をお送りさせていただきます。また、初めてご入金の方にはARC NEWS最新号などをお送りさせていただきます(郵便振替の性質上、入金の確認が遅れる場合があります。ご了承ください)。 会費の自動振替はこちらへ。 郵便局の通帳をお持ちのうえ、お近くの郵便局でお手続きください。 口座番号 00210-4-18356 加入者名 特定非営利活動法人 アニマルライツセンター 振替日 毎月 27日 払込金の種別 会費 銀行振り込みで寄付 銀行へのお振込の場合、お振込いただいた旨を「入金通知フォーム」を使ってARC事務局までお知らせください。 銀行ATM、コンビニATM、銀行窓口、インターネットバンキング、テレフォンバンキング等で手順に従い、ご入金ください。 銀行名 三菱東京UFJ銀行 支店名 渋谷中央支店 口座種類 普通 口座番号 5968916 口座名義 アニマルライツセンター ご入金確認後、お礼状をお送りさせていただきます。また、初めてのお振替の方にはARC NEWS最新号などをお送りさせていただきます。 入金確認フォームには、ご入金いただいた名義、メールアドレス、ご住所、ご入金日、入金の内訳(一般寄付・会費など)をご入力の上、ご送信ください。 またはメール・郵送で 上記事項をお知らせください。 お礼状・資料等をお送りさせていただくためです。匿名でのご寄付もお受けしています。 プライバシーポリシーはこちら ご寄付へのお礼状をお送りしています。別途領収証が必要な場合はメールでその旨お知らせください。

過激な活動はしていませんか?

過激という言葉が使われることがありますが、私たちは「動物と穏やかに共存する社会」をめざし、命の尊さを訴え、個々の生き物を尊重することを主張しています。 アニマルライツセンターのウェブサイトには多くのショッキングな映像が掲載されていますが、その映像に映し出されたものは、すべて私たち人間が、弱い立場にある動物に押し付けている現状であり、私たちの生活の裏にある現実です。 そのショッキングな現状を生み出しているのは、あなた自身かもしれません。 私たちはこのような現実をとらえた映像を配信していますけれども、事実を知らせることは決して「過激」なことではありません。 現実を見て見ぬふりをし、その現状を放置し続ける生活を送ることのほうがより「過激」なのではないかと思っています。

活動に参加したいのですが、どうしたらいいですか

あなたの得意分野や技術を生かした方法をご提案ください。受け身ではボランティアは成り立ちません。ぜひ積極的な行動をお待ちしています。 あなたにできることはたくさんあります。 チラシを使って人々に知らせることも出来ます。 ボランティア会議も開催しています(事務所で、またはオンラインで)、情報はメールニュースに登録するか、アニマルライツセンター会員になってください。