1年前の3月4日、ひかりは、生きる希望を得た。犬たちが次々救われていく中で、取り残される自分と自分の仲間たち。畜産動物の保護団体なるものがあらわれた。自分たちのことばかりを撮影する変な人たち。はじめて新鮮なバナナとりんごを食べた。待っててねって言われた。迎えに来るよって言われた。檻の外には想像していた世界よりももっと素晴らしい世界があった。ひかりは特別な豚だ。人間顔負けの頭の良さなのだ。ひかりは養豚場では、死んでしまった咲と弟と思われる大地(オス)と同じ檻に入れられていた。咲は足にひどい怪我を負っており、つらそうにしていた。大地は人が来ても寄って来ず、静かに寝ていた。ひかりだけは、人が来たら寄ってきて外をうかがい持ってきたリンゴやバナナも一番に食べた。サンクチュアリにやってきた当初、ひかりはあらゆるものを調べて壊していった。250キロの豚にまだ慣れていない私達をからかうように、スタッフを追い回して楽しんでいた。油断するとぶんと振り回した上半身で、ふっとびそうにもなった。そんなひかりと接しながら、最初の1ヶ月ほどは、体の弱い咲がもしも生きていたら、ひかりに追い詰められていたかもしれないと思ったりもした。でもそれは大きな間違いだった。私達はいまは確信している。体の弱い咲が生き延びていたのも、ひかりが面倒を見ていたから。認知力がちょっと弱くておとなしい大地が生き残っていたのは、間違いなく、ひかりが面倒を見ていたからだ。他の檻には1頭か2頭が残されていたが、ひかりのいた檻だけは3頭の豚が出荷されず死にもせずに残されていたのが、それもひかりが何かしらの工夫をし、人間の様子をうかがい、人懐こさを発揮し、もしくは仲間をかばっていたからなのだろうと想像できる。ひかりは仲間に気をくばり、困っていたら助ける。今もそうだ。でも、ひかりという特別な豚は、じつは特別ではない。ひかりのような能力の高い、思いやりに溢れた豚が、日本中の、世界中の檻の中に閉じ込められ、殺されている。拘束され、糞尿にまみれ、やることもなく、ただ息をするだけの短い一生を強いられ、恐怖と絶望の中で殺されている。国内だけで、年間1677万頭が毎年殺される。こんなすばらしい豚たちを、一切その習性や能力を発揮させず、ただ閉じ込めて殺すなんてことは、大きな損失だと思う。彼女たちを知り、深く関わり、誠意を持って接し、そして殺さなければ、人間はもっと素晴らしい体験を享受できる。たかだか肉をたくさん食べたい、という欲クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Article段階的な改革こそが動物たちを苦しみから救う Next Article女子たちの発情期からみる畜産の課題 2025/03/16