近年日本でも「ヴィーガン」という言葉を見たり聞いたり、人によっては使ったりすることが増えているようですが、そもそも「ヴィーガン」とは何なのでしょう?誤解している人が多いようなので、これからこの言葉が更に普及していく中、しっかり意味を把握しておきたいものです。 実際、Googleでの検索数の傾向を見てみると、「ヴィーガン」も「ビーガン」も急速に増えているようです*1。 「ヴィーガン」とは元々イギリスで造られた “vegan” という英語の言葉です。日本語では「ビーガン」とも書かれますが、正確に言うと「ヴィーガン」でしょう。(Googleでも「ビーガン」より「ヴィーガン」の方が2倍検索結果が多いですし、統一しようとした方が良いのかも知れません。) 「ヴィーガン」という言葉の歴史 一番初めは1944年にイギリスで動物の体・卵・そして新たに乳も食さない協会の会報創刊号で”vegan”という言葉が提案されました*2。Vegetarianの頭3文字と尻2文字で、従来のベジタリアン主義の終わりと新たな始まりという意味もかけたそうです。(この会報の記事には、”vegetarian”という比較的長い単語と比べて簡潔な”vegan”の方が、年に何千回もその言葉を書く人たちにとって助かるとも指摘されています。) こうして Vegan Society(ヴィーガン協会)と呼ばれるようになった同協会は1951年、ヴィーガニズム(ヴィーガン主義)の定義を定めました*3:“the doctrine that man should live without exploiting animals” 「人間が動物を搾取することなく生きるべきであるという主義」搾取(さくしゅ)とは他者を自分本位に、または非倫理的に利用することです。このヴィーガン協会の目的は「食物、売り物、労働、狩猟、実験およびその他のあらゆる用途の為の人間による動物の命の搾取を終わらせる」ことであると書かれてあります。会員(要するにヴィーガンと呼ばれる人)は、「この目的が達成されるのを願っていて、個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」とあります。これが現在に至るヴィーガンという言葉の定義なのですが、多くの人が想像している概念と主旨が異なっていないでしょうか?本来の主旨は他の動物の命・生活も尊重し、搾取しないというところにあります。 ただの完全菜食主義とは違う? 単なる完全菜食主義だと思っていた人、多いのではないでしょうか。人が普通に食べている物を何故か食べないで、健康の為なのか野菜ばかり食べている人。焼き肉も寿司も卵かけご飯もアイスクリームも食べられず、人生の楽しみの半分を損している人。…などの印象を持っている人も少なくはないのではないでしょうか。 また、自分の健康の為にヴィーガンをやってみている。地球の環境の為にヴィーガンだ。と言う人もいます。しかし、そう言う人たちが他の人の為に肉を買っていたり、毛皮製品を買っていたり、動物園を支援していたら、それは「ヴィーガン」と言えるのでしょうか?上の定義を見るとヴィーガンの本来の意味とは違うことが分かります。 ヴィーガンというと食のことだと思いがちですが、本当は動物のこと、特に私たちが他の動物達とどう共生していくべきかということなのです。様々な動物達が人間によって搾取されている中、断然に犠牲数が多いのが、たまたま食に関する動物達なのです。毎年、少なくとも300,000,000,000(3000億)もの動物達が畜産や養殖で苦しい思いをし犠牲になっています*4*5。世界中の人間の数の実に40倍以上です。これが毎年です。自然界から捕獲される魚も含めると毎年1,000,000,000,000(1兆)以上にも上ります*4。想像できるでしょうか?毎秒3万以上の命が人間に自由を奪われ殺されています。肉食動物とは違い、実用的な牙もなく草食動物のように長い腸をもつ人間は動物性のものを食べる必要がないにもかかわらずです。動物性食品を販売する企業によって隠されている現実を知ると、動物たちを苦しめて生産された物を食べる事が人生の楽しみの一部だと思っていたことが信じられなくなるでしょう。 ヴィーガンの人に対して「これも食べられないの?」などの質問がよくありますが、動物性の物を「食べられない」というよりは「食べない」選択をしている、というのがヴィーガンの意味を考えるとより正確でしょう。もしくは、物理的には食べることができるとしても、あまりの残酷さに精神的に「食べられない」とか「支援できない」というのもあるでしょう。菜食が自分の健康に良いのは幸いですし、よく考えると自然なのですが、それは菜食主義の利点に過ぎず、ヴィーガンという概念とは直接は関係がありません。健康や環境の為に菜食を実践している方たちや興味のある方たちも、せっかくなのでヴィーガンという言葉の本来の意味と意図も考え直してみてはいかがでしょうか?今は興味のない方も、「ヴィーガン」の意味を理解することで、それが単なる思い込みや宗教ではなく、倫理と他者の尊重に基づいたものであることが分かるはずです。 完璧主義とも違う? もう一つ誤解されがちなのは、ヴィーガンというのは完璧主義で普通の人には無理だという印象です。もしくは、完璧主義のくせに蟻を踏んでる、人権問題に取り組んでない、植物を殺してるなどと言う人もいます。ヴィーガンの中でも「99%ヴィーガンなんていうのは無い。あなたはヴィーガンであるのかそうでないかしかない」なんて言うのもたまに耳にします。 上記のヴィーガン協会による1951年の文章にも、「個人的な状況が許す限りこの理想に近い生活をすることに努めている人」とあるように、完璧を求めているのではありません。完璧なんて無いのですから。今の日本の社会で動物の搾取から自分を100%切り離すのは不可能に等しく、そもそもそれが重要なわけではありません。 完璧にこだわりすぎなければ、もっと多くの人がヴィーガンという主義に親近感を持ち、より多くの動物たちを苦しみの一生から救えるのではないでしょうか?毎年1兆以上の犠牲数を一人当たりに平均すると、10年間自分が平均的な食生活をするごとに1500以上の尊い命が苦しみ殺されるという計算になります。 (実際には日本のような比較的経済的に豊かな国々では更に犠牲が多いでしょう。)逆に言うと、あと10年寿命が残っている高齢の方が動物性のものを食べるのを止めれば、1500以上の動物達が殺されなくて済むということです。 20代の方でしたら、自分の選択によりこれから生涯1万以上の動物達を苦しみと犠牲から解放する力を持っているということです。なぜなら需要と供給は密接に関係していて、需要が減れば、搾取される為に産みおとされる動物や捕獲される魚の数も必然的に減るからです。奴隷扱いされる動物一頭一頭、一匹一匹の立場に自分を置いて想像すると、完璧にできないから諦める、などのような考えは論外だということが分かるはずです。 自分の為ではない? 身体の健康や美容のための他に、精神的な健康や成長のため、瞑想のため、人類の平和のため、などの理由で菜食を実践している方達もいます。これはそれなりに良いことですが、これらの動機で「ヴィーガン」と呼ぶのは正確とは言えず、本来の志向の誤解につながっているのかも知れません。ヴィーガンというのは自分のためでは決してなく、人間に支配されがちな動物たちのためを想った主義です。もちろん、自分にとって何の利益ももたらさない相手でさえも尊重し思いやりを持って生きていければ、自然に自分の精神にも良いし周りとも平和に関わっていきやすくなるでしょう。 この記事は「ヴィーガン」という言葉の定義について細々というつもりではなく、よく誤解されているこの言葉の裏にある完全に利他的で美しい本来の概念を知ったり思い出したりしていただきたかったのです。今まで不正確にこの言葉を使っていた方も、使うのをやめるのではなく、この機会を通して思いやりと基礎的な尊重の輪を人類以上に、そして自分が親しみを感じる動物以外にも広げてみようとしてみてはいかがでしょうか? *1 https://trends.google.com/trends/explore?date=all&q=ヴィーガン*2 https://issuu.com/vegan_society/docs/the_vegan_news_1944*3 https://ivu.org/history/world-forum/1951vegan.html*4 http://fishcount.org.uk/fish-count-estimates-2*5 https://sentientmedia.org/how-many-animals-are-killed-for-food-every-day/クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Articleカシミヤは恐怖と苦痛の産物 Next Article署名ご協力ください!「沖縄県は闘鶏をなくしてください!」 2019/06/18