同じ病気にかかった動物と人との治療がいかに違うか、ということを獣医科大学や医学学校の生徒に聞くと強いショックをうけます。
例をあげてみましょう。人は伝染病にかかると、ペニシリンを処方されますが、実験動物は違います。人に先天性欠損症(奇形児)を引き起こす薬物療法が動物に堂々と投与されていることがあり、逆もまたしかりです。
人と動物との実験結果がこれほど違うのに、動物実験が人の病気の治療にはたして有効なのかどうか、我々は疑問視し始めました。
麻酔学と獣医科皮膚病学の専門教育が進歩するにつれて、人と動物との差異がよりいっそう断言されるようになってきました。
致命傷となる腫瘍でも、動物実験せずに治癒させることができます。。
日々、病院で使用されている麻酔薬が、動物には致死薬であるとして使用されない例も多々あります
人と動物との間に存在する生体組織や生理化学や生理機能の微々たる差が、「動物実験の結果をそのまま人に応用するという考えは危険である」との実感を、我々は警告し始めました。
嫌気を起こさせるような動物実験に費用は浪費させられてきました。
浪費が最も軽い犯罪であると悟った時、嫌悪は恐怖に変化したのです。
医者が研究室で学習したことを患者に適用しようとすると、実際には患者が被害を受けるという結論が証明されたのです。
視覚を補正する放射状角膜切除術を例にとってみましょう。
この手術は、人よりもウサギに数多くなされてきました。
ウサギでの手術は成功していましたが、当初同じ手術をされた人は盲目になってしまいました。なぜでしょうか?ウサギの目は人とほんの少しだけ違っているのです。この少しの差が悲劇をもたらしました。
ワクチン、化学療法や現代的な外科手術ではどうでしょうか?これに関しても、動物実験で発見された事例で役に立つものはありませんでした。
最初の狂犬病ワクチンは動物には効果を発揮しましたが、人には逆効果でした。
試験管での実験が今日のワクチンを生みだしたといっても過言ではありません。 最初の化学療法の病原は第一次世界大戦の戦場で発見されました。
動物実験で動物癌用の治療薬が何度もアナウンスされましたが、人には役に立ちませんでした。
心臓手術の際に患者を生存させておくために使用される心肺バイパスマシーンは、当初、犬対象実験では成功したものの、人への手術は失敗を繰り返していました。
ペニシリンは10年間、棚に放置されたままになっていました。
ウサギの全身感染症に対して、ペニシリンは効果を全く発揮しなかったからです。
この間違った実験結果のために、助かるはずの人がいったい何人亡くなっていったことでしょう。
ほんのわずかな種差が、医療の現場では重大な差になりえてしまうのです。
動物実験団体は1年に何百万ドルも費やしています。
現在の医療の進歩はまさに動物実験の賜物であると世間に納得させるために、その多くが浪費されています。
もちろん、実際はこの腑に落ちない主張を支持してはいません。
動物実験を支援する強気な声明が動物実験の利権を証明しています。
しかしながら、利権に群がる多くの人々が動物実験の誤謬を許可し、その上動物実験で生計を立てているのです。
我々は誰を信じたらよいのでしょう?
道理ではそんなありがちの研究者の発表を余儀なく信用させられています。
家族を養っていくために、動物実験機構での利権を無視している研究者、本当に効果の無いそのシステムに異議を唱える研究者がそのような声明を発表しています。
今日我々が享受している高水準医療の偉大な進歩は冷静な観察によるものです。
例えば、試験管検査、伝染病学、死体解剖、予期せぬ才能、コンピュータと数学的なモデリング、技術、細胞組織研究、遺伝学、病理学、薬の市販後調査や医者や看護士を初めとする医療関係者などの専門性などです。
動物実験の資金拠出は、実験成功を証明した医療研究の分野から流用された資金のみです。
長い間、「動物実験の結果で得られた治療薬は人にもよく効く」と一般に思い込まされてきました。
その既成観念が、非常に高額な詭弁であるだけでなく、我々にとっても非常に危険であるということを知る時期に来ているのではないでしょうか?