スーパーマーケットの一角にあるガチャガチャ。コロナで遊び場を失った子どもたちが、放課後の時間をつぶす場所でもあります。ある日、数人の男の子が一つのガチャガチャに集まっているのが目につき、目当ては何だろうとのぞき込んでみると、そこにあったガチャガチャの名前は『罠』でした。男の子たちの1人に「それは何するオモチャなの?」と尋ねると、「オモチャじゃない。動物を捕まえるものだよ」と教えてくれました。「何を捕まえられるの?」「ネズミとか害虫とかだよ」男の子たちが帰ってから、店の人に今見た状況をお話しして「この『罠』というガチャガチャを、子どもが購入できる場所で販売するのは適切かどうか?」と確認しました。するとおもちゃ販売担当者は、急に顔を真っ青にして泣きそうな顔で「これは不適切です!『罠』なんていうオモチャがここにあることを、わたしは知りませんでした…」と慌てふためき、目の前ですぐ撤去してくれたのです。ガチャガチャは正式にはカプセルトイと呼ぶそうですが、その販売チェーンには製造メーカーと販売メーカーがあり、スーパーなどにガチャガチャを並べていくのは、販売メーカーが一されているそうです。要は販売メーカーが、売れそうなガチャガチャを製造メーカーから買い取り、それを売れそうな売り場に、配置していく流れです。自動販売機と同じで、よほどのことがない限り、店側はガチャガチャの中身には、関知していないといいます。ここで考えてみると、この『罠』というオモチャには三つの問題があります。一つは子どものオモチャという商品には対象年齢が表記されていること。この『罠』は「対象年齢15歳以上」となっていました。しかしガチャガチャのような売り方で、購入する人の年齢をチェックすることは不可能です。「ウチのような子ども連れファミリーが多いスーパーに、販売会社が考えて、こんなものは最初から置かないでほしい」というのが店側の言い分でした。二つめはこの『罠』の形状が「トラバサミ」というもので、これは鳥獣保護法によって禁止されているということです。基本的に違法なものはオモチャとしても販売できないはずです。それなのになぜ、禁止されているトラバサミをオモチャとして販売しているのか? 『罠』の販売会社H社に質問してみました。「罠といっても威力が弱く、人間に危害が及ばない安全性を確認したから販売しています」何かの使用が法律で禁止されるとき、たいていはそれを使用することで、人間に危害が及ぶ場合、使うことが禁止されます。たとえば六価クロムは、メッキ加工には便利だが、人体に有害なので、規制がはじまっています。だからもしガチャガチャのおもちゃに、そのような有害化学物質がふくまれていれば、それが有害な基準値かどうかで判断できるわけです。それでは「トラバサミ」という罠は、人間に危害が及ぶから禁止されたのでしょうか?それについて「トラバサミ」の法規制制定にかかわったNPO法人 地球生物会議ALIVEに、当時の経緯を尋ねてみました。しかし実際、この法律の制定を促す運動に関わったスタッフはすでに退職しており、とても古い活動なので、当時のことはホームページ上で記載していること以上に、知る人はいなくなったそうです。当時の運動の様子がわかるサイト:http://www.alive-net.net//wildlife/domestic/trap/torabasami-kiji.htmlNPO法人 地球生物会議ALIVEによると、この法律の制定に際しては、野鳥の会、日本自然保護協会などとともに「トラバサミやくくり罠など罠全般の禁止を求めたが、結果的にトラバサミだけが禁止されたと、当法人の創設者から聞いている」と説明されました。その制定の経緯がが歴史上の逸話となるほど、トラバサミ規制は動物保護に関する法律としては古く、すでに安定的に機能しています(この法律にはネズミ・モグラなど除外規定はある)「それなのに、今、オモチャとして販売する意図がわからない」と、現在のアライブ担当者は困惑していました。この制定までの動物保護団体の尽力の経緯を知ると、2002年に制定された、鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律第12条第1項第3号、同法施行規則第10条第3項第9号・第10号において、やはり罠による動物被害を防ぐ目的で、制定された意図が強いと思われます。もう一度問題を整理すると、鳥獣保護法は動物の被害を防ぐためにトラバサミ使用を規制している。しかしおもちゃ販売企業H社は「人間に害のないものだから、販売してよいと判断している」と説明する。このままでは話は平行線です。この食い違いを埋めることはできないのか、環境省鳥獣保護監督室に助言を求めてみました。環境省担当者は「トラバサミについての法律は古いものです。鳥獣の捕獲に使用してはいけないと明確に規定されています。しかし販売と所持は範囲外。もしその『罠』の威力が、実際の罠と同等の威力であれば、法律に抵触するでしょう。しかし威力が同等であるかどうかは、環境省には判断できない。管轄する都道府県に判断してもらってください」…環境省がそうおっしゃるので、販売を確認した地域が含まれる、東京都の鳥獣保護担当課に確認してみました。するとこちらの担当者Aさんは、環境省から言われてこの質問していることを伝えると、苦笑いしながら、こんなことを言っていました。「トラバサミは錯誤捕獲が多く、その際に動物を傷つけるから禁止されました。とても古い法律で、現在の罠は箱罠が中心となったから、今、取り締まりの実例があるわけでもなくなりました。民家の庭で使われるようなことはあるでしょうが。しかし禁止の意図は、どういう風に使うかが大事で、トラバサミをゼロにする取り組みをしているわけではありません。あくまでもトラバサミで、野生の鳥獣を傷つけてはいけないということです。鳥類、獣類に向けるなということ。…しかし害獣なら粗末にしてもよいということではありません。害獣でもね」結局「この法律は古いもので、今の時代にプラスティックのトラバサミのオモチャが出回るなんて想定外なんです」と、ここでもガチャガチャの『罠』の扱いには、お手上げだと言われました。しかしYouTubeでは、この『罠』が部屋の隅において、害獣や害虫を捕まえるものをとして紹介されていることを話すと、この担当者は思うところがあったらしく「動物を傷つける目的で使わない、ということをオモチャに明記させるよう、企業に話したらよいのではないか」とアドバイスをくれました。考えてみると、そんな説明さえついていませんでしたから、これは説得しがいがありそうなポイントです。販売会社とお話しする機会があれば、次回はこの要望をしてみます。ところで、この『罠』には3つ目の問題、これが一番わたしたちがアニマルライツを考える上で大きいとおもうのですが、「子どもでも大人でも、動物を傷つける用途のおもちゃで遊ぶことは、倫理的にいかがなものか?」という根本的な問題はどうでしょうか。最初にこのおもちゃを見かけたときに、スーパーの担当者が青ざめ慌てふためいたのは、トラバサミが禁止されているということではなく(おそらく都市部のスーパーの担当者は知らないのではないか)、この3つ目の問題、倫理性や人の良心への抵触という事態に、深く心をえぐられのだと感じました。倫理や良心の問題に、罠の威力などそもそも関係ないのです。だから彼は泣きだしそうな顔で、おもちゃコーナーにとんでもないものを置いてしまったと、即、撤去してくれたのでしょう。事実、このトラバサミは海外では、毛皮動物の捕獲などに現在も使用されています。毛皮の輸入こそ減ってはいても、罠であそぶ子どもがいる国で、毛皮衣料の残酷さを訴え、全廃を求めることには矛盾を感じます。だからこそ威力の弱いトラバサミだからといって、放置してよいわけはないと思うのです。大人も子どもも熱中するミニカーの世界にある動物虐待このような「倫理的に決定的な違和感」を、見た瞬間に催すオモチャが、もう一つあります。有名水族館の名前を付けて販売されている『水族館トラック』です。トラックの荷台に据え付けられた透明な水槽の中に、ジンベイザメを動けないほどピッタリ収めて運ぶトラックです。このミニカーシリーズは本物そっくりのリアルさで子どもから大人まで人気があります。このトラックの製造販売元に確認すると、こういった透明ガラス張りの荷台は「こんなトラックで遊びたいという子どもの要望を受けて、制作されたもの」ということでした。さらにこの輸送の仕方がジンベイザメにとって、非常にストレスがかかることを説明すると「実際にこういう輸送をするかどうかわかならいが、見栄えよくしたのだろう」と言っていました。このおもちゃメーカーの「子どもの夢はかなえて当然」といった説明に、わたしたちはどう反論すべきでしょうか?これについて水族館問題に詳しく、かつ少年を心を失わない映画監督、佐藤榮紀さん(『かわいそうなイルカやウツボの物語』)に、とても丁寧なコメントをいただきました。できるだけそのまま掲載します。オモチャというものは、子供心にものすごい影響を及ぼすもので、 わたしなんぞは、もう還暦も間近ではございますが、今でも濃いブルーと深いグリーンの旧型のアメ車(アメリカの自動車)を見つけると、興奮してしばらくその場に立ち止まり、写真を何枚も撮ってしまいます。 何故かと言いますと、それは後から気付いたのですが、 幼少期に、2つのミニカーを持っていて、 記憶にある限り、それが濃いブルーと深いグリーンのアメ車だったからに違いないのです。しかしこのミニカーについてはそもそも、生きている魚を輸送するという事自体がおかしな話です。 魚は、陸を輸送されるには適さない身体構造をしているのです。 しかし、子どもの頃から、魚の輸送なんてものを見慣れてしまうと、 潜在意識によって、それが当たり前のようになってしまうのです。 それが一番やばいわけです。 そのいい例というか、悪い例が、縁日の金魚すくいです。 私は生まれも育ちも、豊島区の大塚という下町で、月に6回は必ず縁日に行き、その度に漏れなく金魚すくいをやっていました。 残念ながら、これが虐待であると気付いたのは、非常に遅く、 わずか数年前の事です。 金魚大好き、動物大好きなはずの、まさかこの自分が、月に6回も金魚に虐待行為を 繰り返していたなんて、思いもよりませんでした。 ところが今になって考えれば、夏の暑い日に、あんなにも金魚をギュウギュウ詰めにして、それを追い回し、すくって、小さなビニール袋に入れて、持ち歩き、縁日を楽しんでいたわけですから、金魚にとっては、死ぬほどの大迷惑だったに違いありません。だから、縁日の金魚はすぐに死んでしまうのです。 しかし、昔から夏の風物詩として日本人は金魚すくいをし、それを虐待だと気が付かない人の方が圧倒的に多いのが現状です。子どもの頃から、無邪気に、悪気無く、継続的にそれをしてきたのが原因です。 そして、オモチャというものは、それを引き起こす最強のアイテムになってしまうのでしょう。今回私は、一応念の為に、そのジンベイザメの輸送トラックというものの画像を見ておこうと、インターネット上で確認しましたが、正直、見た瞬間に、『なるほど!これは酷いな!』とうなりました。なんと、ジンベイザメとトラックの大きさがほとんど同じなのです。身動きできない形でジンベイザメは乗せられているのです。普通に想像すればわかる話ですが、魚は人間のように手すりに掴まったり、シートベルトをできないので、これがリアルな世界だった場合、ジンベイザメは輸送中に、トラックが止まる度に、鼻っ面を前面の壁にぶつけるでしょう。なによりも、酸素不足で死んでしまう可能性は極めて高い輸送になります。トラックの狭すぎる水槽に入れられた者の圧迫感に、酷いと思わなくなってしまうのも怖い話です。 非常識に対するこのような馴れも、人から『思いやりの心』を奪う大きな要因になるでしょう。一番、肝心なのは、生き物を荷物のように運ぶ事について、それを良くない事であると認識できなくなる事ですし、良くないどころか、生き物が死んでしまう事すら気付かない人になってしまうのは、極めて懸念せざるを得ないところです。水の中で生きているものは、身体の作りが陸に適していないので、さらに輸送には弱いのです。事実、イルカなどは捕獲され、日本各地の水族館に車で陸路で輸送されていますが、その最中にパニック状態に陥り、死んでしまう事は珍しい事ではありません。輸送云々だけの話に留まらず、生き物を狭いところに閉じ込める事に無頓着になるのは、人が人の心を持たなくなる危険性があると強く感じます。子どもが遊ぶオモチャや、ゲーム、子どもが観るテレビや映画には、大人は最新の注意を払って、間違った感覚を身に着けないようにしたいですよね。ほかにもある知らずに動物虐待の心を育むオモチャ罠、サメの輸送トラックのほかに、動物虐待を彷彿させるオモチャは多いのです。畜産動物の苦しみを考えない『家畜運搬車』(ミニカー)実際の家畜運搬トラックよりも、さらに牛を過密に詰め込んだミニカー。強制的に同じ方向を向かされて、中で身動きすることはできません。トラックの荷台から1頭1頭、牛が取り出せることに子どもが喜んでいると、販売サイトに書き込まれていました。箱には説明書きがありますが、命の大切さに対する言及はないわりに、家畜を物として運ぶ設備の説明は妙に詳しいです。イルカを殴る蹴る アニマルパンチ子どもがイルカを殴る蹴るためのおもちゃ。オモチャのイルカはどんなことをされても反撃してくることはありません。殴られ蹴られる一方です。これは遊びではなく完全ないじめ、暴力ではないでしょうか?これで子どもが笑いながら遊んでいるところは、誰も想像したくありません。ひっくり返ってもがき苦しむカナブンで遊ぶ 『のたうつカナブン』対象年齢が15歳以上とされていますが、ガチャガチャなのでむしろ子どもが購入しています。このカナブンのおもちゃは立っていることができません。置くと自立せず、すぐ仰向けにひっくり返ってしまいます。ゼンマイで仰向けのカナブンが足をばたつかせるオモチャですが、制作意図が全く理解できません。本当の昆虫がひっくり返ってもがいていたら、起こしてあげる勇気を教えるオモチャには企画できなかったのでしょうか。最後に、子どもの日にふさわしい。動物への思いやりを育むオモチャを一つ紹介します。これは最初に見たときには一瞬、アリゲーターが亀をくわえている酷いモチーフだと思いました。しかし、購入してみると中の説明書にはこのような記載がありました。危険生物大百科 恐怖の牙人間に危害を及ぼす危険生物。しかし人間の自然開発による、彼らの植物や生息場所の減少が、彼らと人間の不幸な接触をもたらしているときに、子どもは残酷な遊びもするし、成長過程にそういう精神段階もあると聞きます。どういう発現の仕方であれ、子どもの遊びへの欲求は正常なもの。それをどうやって動物への思いやりに結び付けていくかは、間違いなく大人の責任です。先に水族館トラックにコメントしてくださった佐藤監督はこのようにもおっしゃっていました。人間が動物に対してすることは、いつか人間に対してもしてしまう好例だと思うので、最後に紹介します。一番肝心なのは、良くない事であると認識できなくなる事ですし、良くないどころか、生き物が死んでしまう事すら気付かない人になってしまうのは、極めて懸念せざるを得ないところです。 このような事から動物のみならず、人間へのネグレクトが生まれるのです。 毎年、パチンコ屋の駐車場で、車の中で熱中症になり亡くなる人間の子どもがいます。 何故、あのような無惨な事が繰り返されるのか? それは、相手の気持ちや痛みがわからなかったり、 その状況がいかに危険かを、認識できない大人が増えているからかもしれません。クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Articleハミ(馬銜)は虐待 競馬・乗馬・馬術 Next 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