(絵:羽田野ゆみ)2014年6月3日に放送されたNHK「クローズアップ現代」 タイトルは「動物園クライシス~ゾウやキリンが消えてゆく」 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3507_all.html動物価格の高騰や国内での繁殖がうまくいかず、キリンやゾウの数が減っていることを取り上げ、「動物園の危機」として放送していました。 その危機を乗り越えるためには、動物園同士でゾウを気軽に貸し借りして繁殖できるシステムが必要であり、そのためには動物園に「種の保存」の役割を持たせて、国がそれをささえる法的枠組みが必要、という内容でした。最後まで、根本的な問題提起がなされることなく、番組は終わりました。 動物が繁殖したくなるような環境の整備(エンリッチメント)の必要性や、もちろん動物園自体の存在の是非について言及されることもありませんでした。そもそも野生の動物が動物園で繁殖しないのは、子供を産みたい環境ではないからです。 「野生から捕獲された動物は、たいてい動物園では交尾しようとせず、自然本能を抑える。それは自分の子孫が捕らわれの身で成長することを望まないからである。中には出産をしても子供が死んでいるほうがいいと思い、育てようとはせず殺してしまうものもある。しかし自由な環境では、彼らは模範的な親なのである」 (「罪なきものの虐殺」-ハンス・リューシュ) 動物園で自然と同じ環境を整えることはできません。 不自然な環境で飼育される動物たちを見せることに、どんな教育的意味があるのでしょうか? 『種の保存』といいますが、片一方で野生の動物が絶滅するような環境をつくりだしておいて、一方では動物園で「種の保存」をすることに何の意味があるのでしょうか? 「種」の保存の名の下に、「個」の尊厳が侵されてもいいのでしょうか?番組では『自由に動物園同士で貸し借りできる環境』の必要性を訴えますが、ゾウは母親を中心に群れをつくり社会生活を営む生き物です。家族の絆は固く、仲間と生涯にわたる関係を築き、離別は深い悲しみをもたらします。グループの出入りはゾウの社会に重大な混乱をひきおこし、個体によってはひどく動揺することもあります。「2001年の春、デンバー動物園で、あたかもソファーを部屋から部屋へ移すかのように、アジアゾウが定期的にあちこちに移動させられた。まず32歳のメス、ドリーが、42歳のミミと49歳のキャンディから引き離され、繁殖のためにミズーリ州に送られる(動物園はこれを「ハネムーン」と呼んでいた)。数ヵ月後には、生体のメス、ホープと2歳半のオス、アミゴ(母親から引き離された)がデンバー動物園にやって来て、ミミとキャンディの隣の区画で暮らすことになる。翌月になるとミミが興奮しはじめ、2001年6月、ミミに押し倒されたキャンディを安楽死させなければならなくなる。キャンディが死んだ次の日、ほかのゾウの嗅覚が届く範囲の中で解剖が行われ、さらにその翌日、ホープが飼育係りの手を逃れ、幸運にも死傷者は出なかったが動物園中を暴れまわる。ホープはよそに移され、新しいゾウ、ロージーが送られてきた」 (「動物たちの心の科学」-マーク・ベコフ) 「種の保存」のために動物をもののようにあちこち移動させ、ゾウの社会をめちゃくちゃにする権利を私たちは持っているのでしょうか? ゾウだけではありません。キリンもほかの動物も、家族や仲間を持って社会生活を営みます。「動物学者バショウは、ほかの社交的な動物と同じように、キリンも仲間をもつことを発見した。一頭のキリンは、おきている時間の15%を友達と一緒に草をはんで過ごし、ほかのキリンのそばで草をはむ時間はわずか5%しかない。1970年代からシドニー大学でキリンの友情を研究してきた、もう一人の動物学者ジュリアン・フェンネシーによると、アフリカのナミブ砂漠に生息しているアンゴラキリンの中で、とりわけメスは、起きている時間の半分から1/3を同姓の友達と一緒に過ごす。」 (「動物感覚」-テンプル・グランディン)ほぼすべての哺乳類が友情をはぐくみ、仲間や友達が必要だとわかっているのに、たった一頭で飼育されてる動物たちが、日本の動物園にはいます。 この動画は日本の動物園です。 「ゾウのダンス」だと面白がってみている来園者もいましたが、これは異常行動です。 足を踏み変え踏み変え左右にゆらゆらゆれるという常同行動(同じ行動を繰り返す異常行動)です。 本来自然界ならば800平方キロメートルもの行動範囲をもちます。一日16~20時間活動を続け探索しながら採食し続ける動物です。ゾウは活動時間の90%以上を採食に費やしています。しかし動物園ではそのようなゾウの探索欲求を満たすことはできません。与えられたものをただ食べ、起伏のない目新しいものの何もない狭い収容施設の中で、ゾウは何もすることがありません。そこで死ぬまでくらさなければなりません。 このステレオタイプの行動は、ゾウの悲しみ、欲求不満のあらわれです。こんな環境で、動物たちを飼育してもよいのか? 繁殖に成功したとして、産まれて来た子供たちをこういった環境で飼育してもよいのか? 番組で取り上げるべき問題はそこだったはずです。アメリカではゾウの飼育をやめる動物園が増えています。2006年ニューヨークタイムズ 「ブロンクス動物園は、社会的、動物行動学的な理由により、ゾウの展示を徐々に廃止すると発表した。これはゾウの独自の感受性とニーズに関する新たな発見を考慮したものである。デトロイト、シカゴ、サンフランシスコ、フィラデルフィアの動物園がそれに続いた。」 動物園は徐々に廃止していき、動物はよりよい環境へ移動させるべきだと考える動物学者たちもいます。 いまや「どうやってゾウやキリンを増やすのか」の議論をする段階ではなく、「動物園の存在そのものの是非」が議論しなければならない時にきているのではないでしょうか。クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Article多摩動物公園 Next Article豚のロディオ - 実行委員会「虐待とは考えていない」 2015/06/09