当時の代表の活動記録より1991年9月30日 6月3日 死者42(不明3名含む)名をだす火砕流が発生、翌日の救援活動中にヘリコプタ-が不時着するというアクシデント。 そのシ-ンが放映された時、数頭の犬たちが映しだされた。 「あっ、犬たちがとりのこされている!」多くの人々がそう思った。1年前の長崎市のノラ猫捕獲ー殺処分中止要請行動を他のARCメンバーと一緒に行動した岐阜の世話人・今井さんは、島原現地へゆき、残されている犬たちを救出しなければ、とおもい他のメンバ-数人と連絡を取りながら翌5日、島原へ飛んだ。獣医師会や保健所に犬の救出を依頼するが、取り合ってもらえない。 ARC事務局は、「お金と対行政交渉はなんとかするからできるだけのことはしてほしい」と言う、彼は、5、6日といろいろ働きかけるが、獣医師会も保健所も県環境衛生課も他の大きな動物愛護団体も動かないし、マスコミもなんらかの事実がないと動けない、という。 7日、とうとう、レンタカーをかり、みずから危険地域に入る。 そして、犬12頭を保護。この献身的な救助活動が中日(東京)新聞で大きく報道されてから、事態は大きく転換する。TBSが放映し共同通信、時事通信が配信する。事務局の電話が猛烈になり始めた。 電話受けのボランティア20人ぐらいを確保し、転送で対応する。 そして、保護した犬たちの保護施設がほとんどなく(島原市内には3軒の動物病院しかない、収容能力は30頭前後)、仮犬舍建設を行政に要請するが全くメドがたたない。 やむなく、全国、とりわけ首都圏や関西、九州などで里親さがしをすることにし、第一陣6頭(うち、5頭は放棄犬、1頭は不明犬)を保健所の了承をえて、東京に空輸した。翌週に府中で里親会を開き縁付けを行う。 このパターンを基本的には今日まで何回か行ってきた。これまで東京・名古屋・九州各地から島原入りしたメンバー、日時(8月30日現在)は以下の通り。・今井;6月5~11日 (※2.当時はARC世話人、現「雲仙被災動物を救う会」代表) ・清田;6月11日 (※3.当時はARC世話人、「がんばれ!どうぶつクラブ」創設者) ・青木;6月13~14日(※4.当時はARC世話人、「ひずめの会」代表) ・杉本(動物たちの会);6月18~20日(※5.「富岡操財団」理事) ・山口(獣医) ;6月22~24日 ・広瀬;6月22日~24日 ・大西;6月22日~24日(※6.当時はARC世話人) ・今井(2回目) ;6月28日~30日 ・清田;6月28日~30日 ・山田;7月4日~5日 (※7.当時はARC世話人、現「(財)神奈川県動物愛護協会理事長」) ・州崎(動愛);7月6~12日 (※8.(財)神奈川県動物愛護協会からの派遣) ・広瀬(2回目) ;7月16日~17日 ・山田(2回目);7月16日~22日 ・今井(3回目);7月28日~8月3日 ・広瀬 光(3回目);8月2日~3日 ・山田(2回目);8月2日~3日 ・今井(4回目) ;8月5日~9日 ・梅枝(三重) ;8月12日(※9.当時はARC世話人) ・8月11日 今井さんは島原市へ転居!待望の仮犬舍完成・山田(3回目);8月15日~21日 ・洲崎めぐみ(2回目) ;8月17日~22日 ・広瀬 光(4回目) ;8月24日~26日続いて、猫舍完成・里親会は、これまで、東京府中、神奈川、熊本、岐阜、福岡、長崎、名古屋、東京で行いました。 8月初旬段階で、警戒区域内での犬猫たち(私たちのエサに頼っている犬・猫たちは併せて推定、40-50匹)、各家庭での一時保護中の犬、猫たち(10数匹)へのエサ代は一日約2万5千円必要です。8月15日、ついに待望の仮犬舍完成、警戒区域の犬たちの保護・収容開始する。 雲仙岳の噴火が再び活発化してきた。晴れた日などは、警察にみつからないように気を付けながら、土砕流が襲い、電柱が倒れ、家が全壊し、土に埋もれている地域(安徳駅付近など)へも入り、エサやりと保護を急いでいる。この結果、犬60頭、猫20数匹を保護し、仮犬舍に収容した(9月28日現在)。 仮犬舍では、毎日、ボランティア数人とパート10数人(有給)が散歩、清掃、エサやり、電話受け、事務に忙しく働いています。仮犬舍の電話は、0957(64)6043 です。雲仙被災動物を救う会ができました。島原の入江さんが豊富な人脈をたどって、ようやくみつけてくれた仮犬舍建設の用地を見、建物の概要を相談し、その実現のために7月中旬、ARC事務局の二人が島原へゆきました。 有明海に面した、その土地は夏草が生い茂る50坪程度の細長い荒地で、錆だらけのトタンぶきの小さな小屋がついていました。 その所有者(本村さん)とどういう契約でかりるのか、どれくらいの期間なのか、どのようなものをつくるのか、だれが犬たちの世話を継続的にするのか、などを難しい問題を解決するためには、現地にもなんらかの組織をつくる必要があり、入江さんが中心になって「雲仙被災動物を救う会」(当初は入江さんが代表、現在は代表なし)がつくられました。 実成さんの店(古本&自然食品店)の倉庫に事務所を置き(今は仮犬舍横に移転)、電話を引きました。それらの費用は皆さんからいただいた寄付から支出しました。 また、市会議員の松本さん(日記の松本夫妻や松本(英)さん、獣医の松本さんとは別人)も加わってくれました。 今井さんは8月11日に岐阜の会社を退職し、現地に移住し、この会の中心メンバーの一人としても活躍しています。この会はこれから多くの役割と活動をしてくれるでしょう。私たちARCも支えてゆくことが必要です。 建設費、車両費はARCと折半とし、現地での支出は、この会が分担し、全国への里親やそれに伴う輸送・不妊費用などはARCが支出することがだいたいの原則としました。生き続ける動物たち、警戒区域から保護を!昔、南極に犬たちを鎖につないだまま置き去りにして帰ってきた倫理感の欠如した人たち(科学者だそうです)がいました。 雲仙は、立入禁止とはいえ、生きとし生けるものが活発にいのちの営みをしている地域ですから、飼い犬猫や家畜のように人間が飼いならした動物たちだけが心配なのです。 実際、警戒区域内にちょっと入ったことがありますが、鳥たちの鳴声がさえわたり、虫や蛙やへびなどたくさんいました。 もっとも危険な水無川付近の国道251号や国道57号付近にも約50頭の犬たちがいて、松本さんや今井さんらがエサをやっています。 犬たちはしっかり生きているのです。 それどころか、犬たちはしきりに交尾し、繁殖しています(すでに仮犬舍で出産がありました)ですから、なによりも保護・収容することが急がれました。 そこで仮犬舍の棟上げと同時どんどん犬たちをハムやジャーキなどごちそうでおびきよせて咬まれないように注意しながらさっとリードをつけて保護し、仮犬舍に収容しています。 島原市の7~8割りは保護したとおもいますが、深江町側の犬たちは相当数のこっているようです。 大問題、置き去りにされた犬たちの繁殖産まれくる子犬たちの野犬化を防ごう!急がれる保護ー不妊手術ー里親探し島原だけでなく地方では、「不妊、去勢はかわいそうだ、余計なお金がいる」ということで、ほとんどの犬や猫たちは不妊手術をしていません。 その結果、日常的に子犬や子猫が保健所に持ち込まれたり(動物実験や殺処分)、川に流されたり、山へ捨てられたり、しています。 また、今回のような自然災害時には群れをなし、繁殖し、大量の野犬が生み出されます。雲仙災害は、当分続きそうです。 現地やマスコミの予測では、短くて2年間、長ければ5年間は、警戒区域への立ち入りは解除されないといいます。その間に、これらの置き去りにされた犬や猫たちは、「ネズミ算」(猫算)式の繁殖をもたらします。そして、一度でも咬傷事件をおこしたら、即座に「地域住民の安全のために」という美名のもとに、毒エサをまいたり、猟銃で射殺したり、の野犬狩りをおこなう可能性すらありました。私たちは、保護し、飼い主たちの了承をできるだけ得る努力をしながら、不妊手術と里親探しを続けなければなりません。(長崎県獣医師会事務局は、島原市内以外では今も2日間の公示後殺処分したり、不用犬投げ入れボックスを行っている動物行政には何の批判もクレームもつけていませんが、私たちの里親さがしには所有権の問題がある、と陰に陽に批判しています)私達が市内に仮犬舍を建て、避難所など市内25ヵ所にカラーコピーで1匹ずつ保護していることを掲示し、飼い主を誠意を以て探しています。どうぞ、今後も私たちへの暖かい励ましとご支援をお願いいたします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・雲仙の動物たちのためにすみやかに行動を! 総理府、長崎県、保健所と面会交渉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7月下旬、世話人の尾崎さん(長野県在住)らは、総理府を訪れ、上記の現状を説明し、いまなによりも保護、不妊手術、里親探しが急務であると申し入れました。総理府は、「仮犬小屋は豚舍を改造してつくる予定である、相当の人数で警戒区域の犬たちを一斉に捕獲保護したはず」など話されました。また、8月中旬、長崎県獣医師会の真崎事務局長と会いましたが、今度は一斉保護の事実はなく、仮犬舍建設もないが、それに近いことはしていると曖昧な態度でした。そこで、8月下旬、今井さんは島原保健所で「いまいる保健所の犬たちの状態を見せてほしい」との問いつめると、「犬たちは瑞穂町の宮崎獣医の仮犬舍に移した」とポロっと言ったのです。そしてそれは確かに、ありました。獣医師会の要請で豚舍を改造して飼い主から申請のあった犬を9頭、不明犬を6頭収容し、世話をしておられました。宮崎獣医さんの話しでは一番長いのは6月22日からここにいる、といわれ、目的はおなじなのだから一緒にがんばっていこう、とのことでした。私たちがこの件で、不思議に思うのは、なぜ、真崎さんらは本当のことをスッキリと言わなかったのでしょうか?どうも、このことは、長崎県の獣医師会の体質や動物に対する態度と関係しているようです。なお、もうひとつの、一斉保護の事実は、今日現在確認していません。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・今井さん、岐阜の勤務先退職し、8月11日から島原市内へ転居。 仮犬舍,猫舍,事務所完成,4WDの軽ワゴン車購入 ・ 全国の寄付者、里親希望者、動物愛護団体、心ある獣医さんとともにやりきります ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 同封の写真のような、現地の仮犬舍、付属の事務所、犬や猫を運搬するための軽ワゴン車が完成ースタンバイの状態です。本当に皆さんのご支援、ご協力の賜(タマモノ)です。心から感謝いたします。クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This No Older Articles Next Article事例1:町田市 O獣医師 金銭トラブル 1991/10/08