鶏のほかにも、ハリスはさまざまな贈り物をもらっていますが、その中に、犬があります。1857年11月15日の日記に、「日本人が非常に立派な二匹の子犬を持ってきてくれた。丸い、弾丸のような形の頭と、短い鼻と、「キング・チャールズ・スパニエルズ」式の大きな、飛び出た目をもっているが、耳は短小で、身体の毛も短い。さもなければ、その犬そっくりなのだが。彼らがスパニエルズの原種の系統であることを疑わない。」ハリスはこの犬に、日本の二つの首府(江戸と京都)に敬意を表して「江戸」「みやこ」と名前を付け、そのうちの「江戸」を、合衆国のスループ型艦ポーツマス号が出港する際、同艦のアンドリュー・ハル・フート艦長に贈っています。ハリスの描写から、これは日本の「狆」ではないかと推測されます。狆の昔の英名は「ジャパニーズ・スパニエル」といい、ペリー提督によっても数匹がアメリカ合衆国に持ち帰られたとの記録があります。一方、庶民の住む街中では犬はいたるところで目にされていたようで、多くの外国人が記録を残しています。ヒュースケンは「犬などは、月に向かって吠えているだけのはずなのに、何をどう間違えてか、われわれを見るとひどく騒ぎ立て、町中の犬の大合唱になり、警砲の音で馳せ集まって、われわれの跡をつけて町までくると、そこで郊外の犬に吠える権利を譲渡するのである。猫だけは外国人に対して過酷な日本の法律に従わず、無頓着にわれわれを見つめている様子であった。」ヒュースケンの記述通り、犬はよそ者である外国人を特によく威嚇していたようです。1859年に米国長老派教会の医療伝道宣教師として来日し、聖書を翻訳するなど30年にわたって日本に滞在した、ヘボン式ローマ字でも有名なジェームス・カーティス・ヘボンは「色々とうるさいことがあるからです。それは犬なのです。犬はたいへん多くいて、飼い主がいないのです。しかしよく肥って、人に慣れています。が外人をみるやいなやほえて逃げて行きます。犬のほえ声はつぎつぎに伝わって、街中にひびき渡るのです。」街中の、飼い主がいない犬たちが人に慣れているという例は、他でも見られます。エドワード・S・モースは著書の『日本その日その日(Japan Day by Day)』の中で、「先日の朝、私は窓の下にいる犬に石をぶつけた。犬は自分の横を通り過ぎて行く石を見た丈で、恐怖の念は更に示さなかった。そこでもう一つ石を投げると、今度は脚の間を抜けたが、それでも犬は只不思議そうに石を見る丈で、平気な顔をしていた。この後往来で別の犬に出くわしたので、態々しゃがんで石を拾い、犬めがけて投げたが、逃げもせず、私にむかって牙をむき出しもせず、単に横を飛んでいく石を見詰めるだけであった。私は子供の時から、犬というものは、人間が石を拾う動作をしただけでも後じさりをするか、逃げ出しかするということを見てきた。今ここに書いたような経験によると、日本人は猫や犬が顔を出しさえすれば石をぶつけたりしないのである」以前に紹介したアセンション島のアジサジの例にもみられるように、危害を加える外敵がいない地域では、動物たちも無防備になるのでしょう。基本的にこの頃の日本の犬たちは、地域に共に暮らす一員としてみなされていたようで、餌をもらったり、ゆうゆうと道端で寝ころがることができたようです。絵画にもそんな犬たちの様子(とくに子犬)を描いたものがたくさんあります。磯田湖竜斎『水仙に子犬』歌川広重『名所江戸百景 小梅堤』絵の右下に子供と遊ぶ子犬たちがいます歌川広重『名所江戸百景 高輪うしまち』草鞋の紐で遊ぶ子犬しかし時には、侍階級による刀の試し斬りの対象にされていたこともあったようで、エメ・アンベールは『幕末日本図絵』の中で、「刀の所有者は、その刀を人間の血で洗う機会が来るまで、それを動物で試すか、よりよくは、罪人の死骸で試している」※と書き、1859年に英国総領事兼外交代表として来日したラザフォード・オールコックも『大君の都』(The capital of the Tycoon: A narrative of a three years’ residence in Japan)の中で、「背中をめった切りされたり、もっと恐ろしい残忍な目に合わされたりして、びっこをひいているちんばの犬をたくさん見かける」※と書いています。犬が地域の共同体の一員として認められている例は現代でもみられます。トルコ出身の旦那様を持ちトルコをよく行き来している友人は、トルコでは野良犬や野良猫がとてもたくさんおり、街中のどこででも寝そべっているといいます。ショッピングモールや地下鉄、レストランの中でも寝ているし、地域の人たちも、そんな犬猫を追い払ったりしないといいます。トルコでは、野良犬や野良猫の不妊手術は政府が行っています。もし病気やけがをした犬や猫がいた場合も、病院に連れて行けば無料で治療してくれる(飼い犬の場合は飼い主が負担)ようです。餌にも不自由していないため、性格も穏やかで、まるまると肥えている犬が多いそうです。(トルコの詳しい犬事情についてはこちらで紹介しています)共存が成立している地域では、江戸時代の日本の様な事が起こり得るのでしょう。※引用文には差別的な表現を含みますが、当時の様子を正確に伝えるため原文に忠実に記載しています。文/さかもとよしこ→個人ブログでは動物以外にも記事を書いています>>>近代以前の日本にみる動物との共生 No3~鳥類と日本人その2~クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Article帝国ホテルの動物の苦しみを減らす取り組み Next Article鳥インフルエンザの基礎知識 2023/01/19