5月19日~20日かけて、廃業する養豚場から、屠殺される予定であった最後に残された8頭の豚たちを迎えに行きました。19日夜中に遠距離である2頭を、そして残りの6頭を翌日早朝から輸送して暑くなる時間帯の前に輸送を終わらせようという計画。行き先は”愛媛サンクチュアリー(仮称)”に2頭、”動物の未来コテージ”に4頭、そして”動物の未来ホーム”に2頭です。3箇所を合わせて”アニマルライツビレッジ”と名付けました。3月に準備を開始し、急ピッチで土地と小屋と強固な二重柵を作り上げ、立ちはだかった壁をチーム一丸となって一つ一つ乗り越えてきました。このお話はまた今度。そして、輸送も一つの大きな壁でした。おおよそ250kgの大きな豚を8頭運ぶのは素人だけではできません。愛媛という長距離移動はより一層大きなプレッシャーがありました。死ぬかもしれない、愛媛という決断をするまでかなりジタバタしたけど他に行き場がない、、到着さえすれば一番安心できる場所、、、車は、豚2頭を引き受けてくれることになった愛媛サンクチュアリー(仮称)が、2トントラックに大きな窓と換気扇を付けるという改造をしてくれました。そこに、ふわっふわの大量のおが粉を敷き詰めて、ゆっくり丁寧に運びます。千葉への輸送は、畜産専門の輸送業者さんが担当してくれることになりました。私達の取り組みを真剣に受け止めてくれて、そして気温や密度も気にかけてくれる業者さんにであうことができました。バタバタではあれど、できる限りのことをして、19日を迎えました。薄暗くなってきた19時、養豚場ではすでに1頭がトラックに積み込むための檻に入れられて待機していました。1頭をなんとかトラックに乗せるとはじめてのふわふわのおがこの中で気持ちよさそうに寝転がり、おがこを食べてみたりとリラックスしていました。2頭目を檻にいれる番。茶色の豚は扉が空いていても逃げず、コンクリートの糞尿のこびりついた無機質な場所から出されまいと、必死の抵抗をしました。どんなにひどい場所でも彼らにとってそこは家であり、捕獲されれば殺されると思うものなのです。この檻にいれる行程ですでに体力を奪われてしまった豚、サンクチュアリ到着後、まもなく、息を引き取りました。20日、早朝。まずは”動物の未来ホーム”に行く2頭。抵抗をするものの、ふと、私と目が合った瞬間に、突然歩き始め自分で檻に入りました。2頭ともが目を合わせることで前に進みました。諦めたのか、悟ったのかはわかりません。その後男の子の方はバナナも食べ、安心させてくれました。”動物の未来コテージ”に行く、一人暮らしだった女の子には実に数時間かかりました。檻に入るのを嫌がり、人を押しのけ、養豚場の通路~やや外で逃げ回りました。場外に出ようと思えば容易にでられる環境でしたが、不思議とそこまでは逃げず、それでも檻の中には男性5名が押し込んでも力ではかないませんでした。3頭のうちの2頭は、比較的すぐにトラックに乗せることができました。やはり、目が合うと、少し安心するような素振りを見せました。「あれ、もしかしたら殺されないんじゃないかな・・・」というように、抵抗に迷いが生まれるのです。そして、、、もともと3月にはじめて会ったときから心配していた3頭のうちの1頭が、やはり、弱った状態でした。このまま連れて行くのか、それとも置いていくのか・・・決断を迫られました。私達は連れて行く決断をしました。ここにいても、コンクリートの上で一頭で死ぬだけ、サンクチュアリに行けば獣医さんに診てもらえる。しかし、この判断は誤りでした。輸送中、亡くなりました。私達は8頭を救い出しつつも、早くも尊い2頭を失いました。苦しい思いをさせてしまった2頭に、仲間を奪われてしまった残りの6頭に申し訳ないことをしてしまいました。大きすぎる代償、私達は心に刻みこみむしかありません。そしてスタッフとともに、この苦しい経験を次の動物たちの苦しみを減らす活動に活かすことを誓い合うしかありませんでした。改めて、輸送は、動物にとってもっともストレスのある行程であり、それについての法規制がないなんて、ありえないのです。サーカスや移動販売のような移動をベースとした商売もありえないのです。高く売れるからと品川の屠殺場まで長距離移動させる屠殺もありえないのです。愛媛で1頭になってしまった黒い豚は、こげちゃちゃまるという名前をもらいました。黒い豚の”おこげ”という名前の中に、もともと茶色の豚につけようとしていた茶々丸の名前をいれて、「ずっと一緒にいよう」という思いを込めた名前をつけてくれました。ごげちゃちゃまるは、茶々丸のそばを離れようとせず、外で眠りました。愛媛サンクチュアリの方も一人になったこげちゃちゃまると一緒に野宿し付き添ってくれています。夜、ごげちゃちゃまるは、人間が泣くように、すすり泣いていました。弱っていた子の名前は、咲(さき)ちゃんです。みなさんが考えて送ってくれた名前の中で、一番最初にこの子にはこれがぴったりだ!と感じた名前です。「この病気がちでまともに歩くことができない子なら譲ってもらえるかもしれない」と、このプロジェクトが始まったきっかけになった子でした。3月当初は、咲ちゃん一頭だけでももらえないか、と交渉を始めたのです。咲ちゃんが、みんなを屠殺の運命から救い出したのです。トラックから降りるときは、これまでの知識を活かし囲われた花道を用意していました。これにより、豚たちは、比較的すんなり、自分たちの足で歩いて各サンクチュアリに降り立ちました。残った6頭は、ふかふかのベッド、広い空と、柔らかい土、初めての自然の草木に触れ、まだ安心はできませんが、徐々に環境に慣れていっています。またご報告します。6頭を守るために、そして2頭の豚たちの死に報いて10億の畜産動物たちを守るために、全力を尽くします。引き続き、見守ってください。豚たちにも生きる場所を!8頭の豚を畜産の鎖から解放しようクリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして X で共有 (新しいウィンドウで開きます)Share This Previous Article4月のアクショングループ活動報告 Next Articleアニマルライツチャンネルvol53[動物のゲノム編集] 2024/05/24